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信じてもらえなかった話 [中学校]

私は中学生の頃に学習塾に通っていまして、
その学習塾では夏休みに3泊4日で合宿が行われました。

その学習塾には私の通っていたS市の教室と
となりのM市の教室と2箇所がありました。

中1の時の合宿だっと思いますが、
休憩時間にS市の教室の同級生4人と
M市の教室の下級生(小6)2人といっしょにいました。
その時、そこにいたのは全員男です。
私たちがM市の下級生と会ったのは初めてでした。

そこで、単に雑談をしていたのですが、
同級生のT君が、同級生のN君を指さして、下級生の一人に
「この人好き?」とききました。
下級生は「うん」と頷きました。

次にT君は、同級生のA君を指さして、同じ下級生に
「この人好き?」とききました。
下級生は再び「うん」と頷きました。

次にT君が同級生のM君を指さしてきくと
下級生は再び「うん」と答えました。

最後にT君が、私を指さして、
「この人好き?」ときいたのですが、
下級生は頷きませんでした。

私は、自分だけ嫌われているのかなぁと心の中でショックを受けていました。

T君は下級生に
「なんで?好きじゃないの?」ときくのですが、
下級生は答えようとしませんでした。

T君がしつこいので、下級生もようやく口を開きました。
「だって、この人、女でしょう」

私の同級生全員が笑いました。
その後、私の同級生が「この人、男だよ」と言ったのですが、
下級生は信じませんでした。
その下級生は私が女だと思って、恥ずかしくて好きだと言えなかったわけです。
結局、この下級生は合宿のあいだ中、私を女だと思っていたようです。

その時の私の格好は、上がTシャツで、下がジーパンでした。
男だと言っても信じてもらえなかったのは、
私の人生の中で初めてでした。その後もありません。



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見た目の印象について [中学校]

中学3年の頃だったと思いますが、
もうすく学校の陸上競技大会(運動会?)が行われるという季節で、
誰がどの競技に出るのかを
クラス全員で話し合っていました。

決め方としては、まず司会者が、
「100メートル走に出たい人」とききます。
それに対して3人が手を挙げたとします。
すると、その3人についてクラス全員で
挙手による投票を行うわけです。

私は200メートル走に立候補しました。
理由としては、すぐ終わるし、しんどくないし、
恥をかくことも少ないと思ったからです。
私はこの頃、本当にやる気をなくしていました。

私以外にA君も立候補しました。

私はA君よりも足が速かったのです。
少し前に体育の時間でA君と100メートルを
競争する機会があったのですが、
私の勝ちでした。
そのことがあって、私は、A君よりも私が
200メートル走に出場するべきだろうと思っていました。

そして投票が行われたのですが、A君の圧勝でした。

A君は見るからにスポーツマンという感じで、
私はスポーツとは無縁な雰囲気でした。
そういった見た目の印象で、A君に票が集まったんでしょうね。

私としては納得できない気持ちがありました。
私にはA君に100メートル走で買ったという実績があったわけですから。
クラスの人が見た目の印象だけで決めるのは
おかしいんじゃないかなと思っていました。

でも、この程度の理不尽なことは、人生でいくらでもありますね。



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納得できない話 [小学校]

前にも書きましたが、私の家から小学校までは1キロくらいありました。

学校の帰りによくやっていたことですが、
学校を出てから、近所の同級生4~5人でじゃんけんをして
負けた人が全員のランドセルを持って歩くという遊びがありました。
私たちはそれを「かばん持ち」と呼んでいました。
2~300メートル進むと、再びじゃんけんをして負けた人がかばんを運ぶ
という具合です。

小学3年生の新学年の始まった日のことですが、
帰りに4~5人の同級生で「かばん持ち」をすることになりました。
じゃんけんをして私が負けましたので、
私が全員のランドセルを持って歩き始めました。

2~300メートルくらい進んで、私は、「じぇんけんをしよう」と言いました。
しかし、一番発言力のあるM君が「まだだよ」と言ったので、
しかたなく私はそのまま歩き続けました。

しばらく進んでから私は再び、「もうじゃんけんしようよ」といったのですが、
M君の「まだまだ」という言葉により、じゃんけんは行われませんでした。

その後も私は「もうじゃんけんしないとおかしいよ」ということを言ったのですが、
受け入れられず、結局、家の近くまでランドセルを運び続けることになってしまいました。

そして、次の日になり、帰る時にまた「かばん持ち」をすることになりました。
私は当然じゃんけんをするものだとばかり思っていたのですが、
M君は私に「昨日負けたんだから今日もだよ」と言って
私にランドセルを持たせようとするのです。
私は抵抗したのですが、M君にごり押しされてしまい、
結局、全員のランドセルを持って歩き始めることになりました。
その日も家の近くまで私が全員のランドセルを持ち続けました。

その次の日も帰りに昨日と同じことが繰り広げられ、
「おとついじゃんけんで負けたから」という理由で
私は全員のランドセルを運びました。

その次の日も「この前じゃんけんで負けたから」という理由で
ラントセルを運びました。

その次の日も。

その次の日も。

日曜日は学校が休みですから当然ありませんでしたけど、
それ以外はずっと続きました。

私は何度もこのおかしな状況を訴えたのですが、
かばんを持たせようとする同級生は聞き入れませんでした。

いつまでこれが続いたと思いますか?

3月、3年生の最後の日までです。一年間続きました。

4年生の最初の日になぜか消滅しました。

このような状況の場合、暴力を使えば、状況が変わるのかもしれませんが、
私はあくまでも、理性で対応したかったのです。



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目的のものが買えなかった話 [小学校]

小学校3年生の新しい学年が始まった日のことです。

1年生・2年生は担任の先生が女性だったのですが、
3年生の先生は男性でした。
新鮮な気持ちとか、緊張した気持ちを感じていたことを思い出します。

その日、担任の先生から、「これから授業で使うノートは、
2年生までに使っていたノートとは違うものを使います、
5ミリ方眼のノートを使いますので、
明日までに買っておいて下さい」という話がありました。

その日の学校が終わり、
私は近所の同級生のK君と「5ミリ方眼」のノートを買いにいきました。

家から歩いて500メートルくらいのところに八百屋があって、
そこにノートが売っているのを知っていましたので、
そこに行きました。

八百屋につき、ノートのあるあたりの棚に行きました。
私はそれらしきノートをを手に取ったのですが、
それは「4ミリ方眼」のノートでした。
私は「5ミリ方眼」ではないからだめだと思い、
そのノートを棚に戻そうとしました。
すると背後から「それ、買ってもらわないと困るよ」という声がしました。
振り返ると、その店のおばさんがレジから声を上げていたのでした。

その時、私は手が汚れていて、ノートの触ったところが
手あかで汚れていたのでした。

私は4ミリ方眼のノートを持ってレジに向かいました。
いっしょにいたK君は「4ミリ方眼」のノートのとなりに積んであった「5ミリ方眼」のノートを
手にレジに向かいました。

次の日から授業が始まったのですが、
私は「4ミリ方眼」のノートに字を書きながら、
「5ミリ方眼」ならもっと大きい字で書けたのになぁと思っていました。

ちなみに、ノートについた手あかは消しゴムでこすったら消えました。



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人生勉強 [小学校]

小学校の4年生か5年生の頃のことだと思います。

学校が終わり、近所の同級生4~5人と家に帰っていました。
学校から私の家までは1キロくらいです。

学校から200メートルくらい歩いたところで、
信号待ちしている白色の軽トラックがあったのですが、
その運転手は同級生のS子さんのお母さんでした。

S子さんは私たちとは反対方向に住んでいましたので、
いっしょに帰っている中にはいませんでした。

S子さんのことを簡単に説明しますと、
見た目も行動も男まさりの女の子で、
男の子をケンカで何人もやっつけており、
粗野な雰囲気のある子でした。
多くの男の子がS子さんを怖がっている感じでした。

S子さんのお母さんはS子さんに見た目も行動もそっくりで
粗野な感じの人でした。
存在感のあるお母さんだったので、
私たちもよく知っていたわけです。

いっしょにいた同級生の一人がS子さんのお母さんに
「次の信号まで乗せてって」と言うと、S子さんのお母さんは
「いいよ」と言ってくれたので、
私たちは一人ずつ軽トラックの後ろの荷台にのぼりはじめました。

まず、片足を後ろの車輪の上に乗せ、
荷台のさくのようなところの上を両手でつかみ、
車輪に乗せた足とは逆の足をさくのようなところの上に乗せ、
さくのようなところの上からけり上がるように
荷台の上に飛び移るという感じで一人一人荷台にのぼっていました。

荷台の上にのぼるのは私が最後でした。
片足を後ろの車輪の上に乗せ、
荷台のさくのようなところの上を両手でつかもうとした時に
片足を乗せていた車輪が回転し、クルマが動き始めました。

私は回転する車輪に片足を巻き込まれてしまうか、
クルマから振り落とされてしまうかしそうでしたが、
とにかくさくのようなところの上をつかみ、
必死に這い上がろうとしました。

荷台の上の同級生は私を見て笑っていました。
私は大ケガするかもしれないというギリギリの状況で
全力を出し、荷台の上に上がることができました。

荷台に上がったあとも、やばかったなぁという感じでした。
同級生は私のことを笑っていましたけど。

S子さんのお母さんは、私がそんな状態になっていることに
気づいていませんでした。
私も同級生もS子さんのお母さんはにそのことを言いませんでした。

S子さんのお母さんは信号が青になってそのままクルマを出発させたんでしょうけど、
私たちが全員乗ったかどうかチェックする神経は持ち合わせていなかったようですね。
私はそれまで大人なら誰でもそういう配慮をしてくれるものだと信じていたようです。
こういう人もいるんだなぁということがわかりました。
身をもって人生勉強させていただきました。



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保育園の記憶 [保育園]

2才のころだと思います。

まだ、幼稚園や保育園に通う年齢でななかったのですが、
おそらく、両親が仕事しやすいためということだと思うのですが、
私は保育園に通うことになりました。

その保育園の場所なのですが、
私の家から3~4キロ離れたところでした。
私の家からもっと近いところもありましたので、
なぜそこを選んだのかと考えてみますと、
その頃母親の仕事していた場所に近かったためかもしれません。

保育園までは憶えてはいないのですが、父親と行ったのではないかと思います。
保育園は寺の敷地内にありました。
父親はすぐに帰ったのだと思います。
保育園の教室の中には先生と子供たちがいたのですが、
子供は私よりもみんな年上だったと思います。
知っている子は一人もいませんでした。

しばらくして、外で遊ぶような時間になり、
みんなが外は行きましたので、私も外に行きました。
私はいっしょに遊ぶ友達もいず、
一人でいたと思います。
さみしかったです。

外で遊ぶ時間が終わり、みんな教室に戻りました。
私は教室の自分の机に座ると悲しさが込み上げてきて、
机の上にうつぶせになると激しく泣き始めました。

同じクラスの子が私の近くに来て、私に話しかけてきましたが、
私は泣き続けるだけでした。
クラスの子が呼んできたのか、先生が私のところに来て、
私に話しかけてきました。
私は相変わらず泣き続けるだけでした。

先生ももうだめだと思ったんでしょう。
私の父親に連絡をしたようです。
しばらくして父親が迎えに来て、
私は父親と帰りました。

この保育園はこの一日で終わりになりました。
両親も保育園に入れるのは早すぎたと思ったのかもしれません。

いまだにこれを憶えているということは、
私にいい影響を与えていないということかもしれませんね。



タグ:保育園
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想定外のできごと [そろばん塾]

私は小学3年から中学1年までそろばん塾に通っていました。

そろばんをやりたかったわけではないのですが、
近所の同級生がみんな通っていて、
同級生たちの「面白いよ」という口車に乗せられて入ってしまいました。

はじめは私はあまりやる気がありませんでした。
そろばん塾の先生がテキストを最低1回1ページやればいいと言っていたので、
私は毎回1ページしかやりませんでした。
15分くらいで終わってしまいます。
他の人たちは1回1時間くらいやっていて、
私に対して、「月謝払っているんだから、もっとやった方が得じゃない」と
言っていたのですが、私は相変わらず1回15分を続けていました。

いつしか、私も1回1時間やるようになっていました。
私は同じそろばん塾の同級生の中で、一番最後に塾に入ったのですが、
順調に級が上がっていきました。
同級生は4級までに一度は試験にすべっていたので、
私が4級の試験を受ける時は、
今度はすべるだろうと言われていました。

ところが一発で合格してしまいました。

でも努力はしていました。
試験の何週間か前から毎日家で練習したりしていましたから。

私の中でこのまま一発合格を続けてやろうという気持ちが強くなっていました。

そして、月日が経ち、3級の試験を受けることになりました。
4級までの試験は、通っていたそろばん塾で受けていたのですが、
3級の試験は商工会議所で受けることになっていました。

商工会議所までは自転車で20分くらいかかります。
時期は真冬でした。
私の住んでいるところは真冬の寒い日だと日中でも0度近くまで下がることがあります。

いよいよ試験当日になりました。
前日からいとこが遊びに来ていたこともあり、
家を出る時刻がぎりぎりになってしまいました。

自転車で向かったのですが、
すごい寒さでした。
商工会議所に着いたのは試験開始の数分前でした。

そして、試験が始まったのですが、
自転車で寒い中を走ってきたために指がかじかんでしまっており、
まともにそろばんを弾けませんでした。

試験は惨敗でした。
点数もかなり悪かったと思います。
指がかじかんで試験に落ちるのは想定外でした。



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幼稚園の先生 [幼稚園]

幼稚園の頃のことですが、
年中組だったと思います。

幼稚園でよくあったことなのですが、
教室でみんなが机に座っているときに、
担任の先生がみんなに「外で遊びたい人」と聞くと、
多くの子供が手を挙げて、手を挙げた子は外で遊び、
挙げなかった子は中で遊ぶという具合でした。

私は外で遊びたいわけではなかったのですが、
「外で遊びたい人」で手を挙げる子が多かったので、
その子たちに合わせて手を挙げるようにしていました。
多数に合わせた方が無難に過ごせると思っていたのかもしれません。

ある時、いつものように教室でみんなが机に座っているときに、
先生が「外で遊びたい人」と聞きました。
私はいつものように多くの子供が手を挙げるものだと思い、
ハーイと手を挙げました。
すると驚いたことに手を挙げたのは私だけでした。
いったい何が起こったのだろうと思いました。
状況が理解できませんでした。

先生は「じゃあ、○○君(私の名前)は外で遊んできなさい」と言いました。
私は非常に孤独感を感じながら外への向かいました。

一人で外で遊んでいても何も楽しいことはありません。
早く中に入りたいと思いました。

時々、同級生の男の子が私のところに来て、
「先生が『○○君はもう入ってきてはいけない』って行ってるよ」とか
「先生が『○○君のカバンを返してあげない』って行ってるよ」とか言ってきました。

その後、その状況からどのように解放されたのかは憶えていません。

ただ、この記憶はいやな思い出として残っています。
あの時の担任の先生は私のことが嫌いだったのでしょうか。



タグ:幼稚園 先生
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UFOらしきものを見た話 [UFO]

小学4年生くらいだったと思うのですが、
その頃、ちょっとしたUFOブームみたいな感じで、
時々テレビでUFO特集をやってりしていたんですよね。

私はかなりハマりまして、
テレビのUFO特集は欠かさず見ていました。
次の日に学校に行くと、同級生の男子たちもUFO特集を見ていて、
UFO特集で盛り上がっていました。
私はみんなもUFOに興味があるんだなと思いました。

テレビの影響があって、私はUFOを見たくてしかたがなくなっていました。

そんなある日、学校で授業が終わり、
そのあと掃除の時間だったので、
校庭で掃除をしていました。
私の近くでは同級生の男子4~5人も掃除していました。

その頃私はUFOを見たくて頻繁に空を見ていたのですが、
その時も掃除をしながら時々空を眺めていました。

すると、半透明の物体が空中に浮かんでいたんです。
半透明で整った形の物体です。
私は一瞬でUFOだと思いました。

同級生も見たいはずですから教えてあげようと思い、
空を指さして「UFOだ!!」と叫びました。
すると同級生に一人が「UFOなんかあるわけないだろう」と答え、
そこにいた全員は空を見ようとしませんでした。

私は裏切られた気がしました。
あれほどUFOの話題で盛り上がっていた同級生たちなのに、
何で私の言うことを信じてくれないんだろうと思いました。

私はもう一度一人で空を見たのですが、
先程の物体はなくなっていました。

あれ以降、私はUFOらしきものを見ていません。
私は幽霊も見たことはありません。

あの時見たUFOらしきものは何だったのでしょうか。

ちなみに、UFOらしきものを見た時は、晴天で明るかったので、
飛行機やヘリコプターと見間違えるということはないと思います。



タグ:UFO 小学校
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エゴイスト [食べ物]

私が幼稚園の頃のことですけど、
昼間、父親が仕事でいなくて、
母親とスーパーへ買い物に行くことがありました。

スーパーまでは自転車で行っていたのですが、
自転車のうしろに子供用のいすが取り付けてあって、
そこに私が座っていたのだと思います。
ひょっとするといすはハンドルのところに
取り付けてあったのかもしれません。
そこのところの記憶はあいまいです。

行っていたスーパーでは、店内の出入り口に近いところに
たこ焼き屋があって、帰りにそこでたこ焼きを
1皿買って帰ることがありました。

たこ焼きを買ってくると、
帰ってから母親と2人で食べるんですけど、
私は、たこ焼きが非常に好きで、なおかつエゴイストなので、
母親と2人で食べるのではなくて、
1人で1皿全部食べたいと思っていました。

スーパーから帰ってからの行動はいつも決まっていまして、
私は自転車を降りて、たこ焼きを持って家に入り、
キッチンのテーブルの上にたこ焼きを置きます。
母親は自転車を物置きに片付けてからキッチンに来ます。
それから2人でたこ焼きを食べるわけです。

母親が自転車を片付けに行っている間に
たこ焼きを食べてしまえば、
1人で全部食べられるわけです。

ある日、いつものように母親とスーパーに行き、
タコ焼きを1皿買ってきました。
家に到着すると私は急いでたこ焼きを持ってキッチンに向かいました。
チッキンに着くと、急いで包み紙を開き、
たこ焼きを食べ始めました。

母親が到着する前にたこ焼きを食べ終えてしまいました。
母親がキッチンに到着して、
たこ焼きがすべて食べられているのを見ると、
「全部食べちゃったのか」とつぶやいただけでした。

今から考えると、
母親もたこ焼きを食べたかったと思うのですが、
全然怒らないというのは、すごいと思いますね。
普通だったら怒っていると思いますよ。



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