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クルマがオーバーヒート [クルマ]

私は東京まで400キロくらいのところに住んでいるのですが、
休日に泊まりで東京に遊びに行くことがあります。

東京に行くときは、自宅からクルマで高速道路を使って新幹線の駅まで行き、
そこから新幹線で東京まで行きます。

2年半くらい前のお盆休みですが、私は東京に行こうと思い、
高速道路で新幹線の駅に向かいました。

通常なら駅まで30分くらいで行けるのですが、
お盆休みのためか非常に混んででいました。

駅まで3~4キロのところで、渋滞で
ほとんどクルマが動かない状態になってしまいました。

その少し前からなのですが、
エアコンから冷風が出てこないのに気づいていました。

クルマが動かない状態になると、
エアコンの送風口からは熱風と言えるような風が出てくるようになりました。
真夏でもあり、社内はものすごい暑さになりました。
私は、エアコンのガスがなくなったのか、
それともエアコンが故障したのだろうかと思いました。
しかたなく、エアコンを切り、窓を全開にしました。

さきほどのエアコンの熱風よりはましではありましたが、
真夏ですので、非常な暑さでした。
汗の量がすごかったです。

駅まで30分くらいの予定が1時間以上かかってしまい、
ようやく、高速道路を降りることができました。
エアコンがおかしいようなので、
東京から帰ったら直さなくてはと思っていました。

そして、帰りなんですが、
新幹線の駅に着き、クルマで高速道路に乗りました。

半分ほど来た時だと思うのですが、
クルマの前のあたりから、水蒸気のようなものが
左右にふきだしていました。
これはやばいということはすぐに感じました。
水温計を見ると相当上の方に行っていて、
異常に高温になっていることがわかりました。

そう言えば、最近水温計を全然見ていなかったなと思いました。
行きにエアコンが効かなかったのもこれが原因だったのかと気づきました。
行きに水温計を見ていたら異常に気づけたのになと思いました。

次のインターまで5キロくらいまでだったので、
何とかそこまで行って高速道路を降りようと思いました。
高速道路でレッカー車を呼ぶのがいやだったんです。

速度をかなり落として走っていたのですが、
インターまで3~4キロのところで水温計が上に振り切ってしまいました。

もうだめだと思い、非常停止帯にクルマを止めました。
冷却水が足りないのかと思い、ボンネットを開けたのですが、
冷却水が少ないのどうか判断ができませんでした。
私はクルマのメカニズムがよくわかっていないんです。
オーバーヒートも初めての経験でした。

クルマのエンジンを止めていたのですが、
20分くらいたってエンジンをかけると
水温計が正常なところまで下がっていました。

とにかく、高速道路を出たいと思っていましたので、
再び走り出しました。
しかし、すぐに水温計が振り切ってしまいました。

再び、非常停止帯に止め、保険会社に電話してレッカー車を頼みました。
レッカー車は30分くらいで来てくれたと思います。

レッカー車に私のクルマを積み込み、
私は助手席に乗って、出発しました。
50キロまでは無料でどこまででも運んでもらえるということでした。
そこから私の自宅までは40数キロくらいでしたので、
自宅の近くの修理屋まで運んでもらうことにしました。

高速道路のインターを出るとき、
私はレッカー車の料金だけ払えばいいと思っていたのですが、
レッカー車の運転手の人に言われて、
私のクルマの分も払わなければいけないことを知りました。

修理屋に着き、見てもらうと、冷却水が漏れていることがわかりました。
その時に修理し、2年くらい経ちますが、トラブルは発生していません。

後から思えば、クルマの前から水蒸気のようなものが出た段階で、
すぐに非常駐車帯に止めてレッカー車を呼べばよかったのかもしれません。
無理して走ってエンジンにトラブルが発生する可能性もあるようですので。



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落し物ではなく落され物 [小学校]

小学校の5・6年くらいの頃ですけど、
学校の行事で夏にキャンプがありました。

そこのキャンプ場は、山のふもとみたいなところに
大勢が集まれる広場のようなところがあり、
そこから木の生えている山の中に入ると、
ところどころにテントを張る場所があるという具合でした。

キャンプでは4~5人が1つの班になり、
同じテントで寝ました。

1日目が終わり、
2日目ももう少しで終わりという時刻になりました。

私は何かの係になっていて、
同じ班の中で私だけが広場の近くで係の作業をやっていました。
同じ班の他の人はテントの中にいたのだと思います。

係の仕事がおわり、最後に広場に全員で集まらないといけないので、
私はテントに自分のリュックサックを取りにいきました。

すると、私の班の人たちがこちらに歩いてきていて、
S君が僕のリュックサックを差し出して、
「持ってきてあげたよ」と言いました。
その時、私はギョッとしてしまいました。
S君は僕のリュックサックを逆さまに持っていたんです。
リュックサックのポケットのチャックは開きっぱなしだったんです。
ポケットの中に入っていたものはだだ漏れではないか。

S君はリュックサックを親切心から持ってきてくれたんですけど、
ちょっと無神経すぎないかと思いました。
しかし、私はS君に怒るとか、いやみを言うことはできず、
感謝を伝えただけだったと思います。
S君の親切心は感じましたから。

それから、広場に全員が集まり、先生のあいさつがあって、
これでキャンプが終わりますという感じだったのですが、
その後、先生が続けて、「落し物がありました、これは誰のですか」
とあるものをみんなの前に振り上げました。

それは私のものでした。
リュックサックのポケットから落ちたものでした。
私は先生のところまで行き、それを受け取りました。

私が自分のところまで戻ると、
先生は続けて、「これも落ちていました、誰のですか」
と言いました。

それも私のものでした。
私は恥ずかしい気持ちを感じつつそれを取りに行きました。

私が戻ると、「次はこれです」と先生。

それも私のでしたが、恥ずかしくて取りに行けませでした。
落し物はそれ以外にも2個か3個あったのですが、
私は取りに行けませんでした。

みんなにそんなに落し物をするだめな人間だと思われたくなかったんですよね。



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アパート選びを考える [会社]

私は大学を卒業して、はじめて就職したのは派遣会社でした。
(私は転職が複数回あります。)

その派遣会社では入社して三ヶ月間が研修で、
その後、派遣先の会社に派遣されて仕事をすることになっていました。

研修は会社の寮だったのですが、
派遣先の会社は寮から通えるところではなかったので、
会社がアパートを借りてくれることになりました。

そのアパートに会社の総務の人と行ったのですが、
アパートに向かうクルマの中で(運転は総務の人です)、
総務の人は、新築でいいアパートが見つかった、
派遣先の会社まで近いと言っていました。

そのアパートに住みだしてわかったことなのですが、
派遣先の会社に行くまでに予想以上に時間がかかりました。

クルマで行けば30分くらいで行ける距離なのですが、
私の場合はその頃クルマを持っていませんでしたので、
公共交通機関を使わざるをえませんでした。

以下のような経路になります。
①アパートからバスの停留所まで徒歩10分
②バスで電車の駅まで30分
③電車で20分
④電車の駅から派遣先の会社まで徒歩10分
という具合でした。

バスの発車時刻ぎりぎりにいくわけには行きませんし、
乗り継ぎもありますので、片道1時間半近くかかっていました。

総務の人は公共交通機関で通うことを考えていなかったようです。
こんなことなら会社に任せずに自分でアパートを探せばよかったと思いました。

悲惨だったのは、仕事が遅くなった時に
アパートまでのバスの最終に間に合わなかったことです。
タクシーを使うお金もなく、アパートまで歩きました。

それからもう一つ問題だったのが、
部屋が一階だったことです。

部屋にいると、窓から部屋の中を覗く人がいるんですよね。
しばらくすると、玄関のチャイムが鳴って、
出てみるとセールスマンが立っていたということがありました。
おそらく留守かどうかを確認するために窓から覗いたんでしょう。
こういったことは一回ではなかったと思います。

アパートの一階の部屋って物騒だなと思いました。

総務の人がもう少し住む人間の立場に立って
アパートを探してくれてればなと思いました。



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文章がヘタな件 [会社]

私が以前在籍していた会社でのことです。

その会社ではグループ会社全体で、
社内報みたいなものが発行されていまして、
2~3ヶ月に1回くらい発行されていました。
私がいたのは子会社だったのですが、
その社内報は親会社で作成していました。

あるとき、私に社内報の原稿依頼がありました。
内容的に私が引き受けざるを得ない内容でしたので、
ことわることができませんでした。
400文字以内でということだったと思います。

グループ会社全体で、千人近くいますので、
その人たちに読まれると思うと、
へたな文章は書けないと思いました。

原稿を書くのにかなり時間をかけたと思います。
自分としては完璧だと思いました。
それでも不安なので、
自分の上司にもチェックしてもらい、
大丈夫だと思うという言葉をもらいました。
「思う」というのがひっかりましたけど、
よしとしました。

その原稿を親会社に送ることになり、
原稿を送る説明書(親会社が作成した説明書です)を見ると、
ファックスで送るように書いてありました。
原稿はパソコンで作成していたので、メールで送る方が簡単だし、
メールで社内報の原稿を送ったという話も聞いたことがあった気がしたのですが、
説明書に従ってファックスで送りました。

それからしばらくして、
私の文章が掲載された社内報が配られました。

私は、自分の文章が載っているページをめくり、
文章を確認したのですが、
文章がメチャクチャでした。
全体的に日本語としておかしい文章でした。

私は親会社に送った原稿を保管していましたので、
それを出して比較してみました。

私の原稿通りに作られていないことがわかりました。

おそらく、ファックスで送ったために
原稿の字が読みづらくて、親会社の担当者が
文章を改悪して入力したんだろうを思います。

文字が読めないならこっちに連絡してこいよと思いますし、
説明書にファックスで送るように書いてあることもおかしいだろうと思いました。
明らかにメールで送る方がいいはずです。
ファックスで送られた場合、それを見て文章を手入力しなくてはいけないのですが、
メールならコピペで済みます。

おそらく、説明書にファックスで送るように書いたのはかなり前で、
本来、メールで送るように改めるべきなのが、
担当者の怠慢でなされていなかったのではないかと思います。

千人近くの人におかしな文章を見られ、
私のことをおそらく、何て文章力のない人でしょうと
思ったことでしょう。

このことを社内の人に弁明しようと思ったのですが、
社内報が発行されたあとではしかたがないと思い、
しませんでした。

それ以来、私に社内報の原稿依頼はありませんでした。

ある人が社内報を大事に保管していると言っていたのですが、
私としてはいやな気分になりました。


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タグ:文章 ヘタ 会社
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なぞの出来事 [小学校]

小学生の頃ですけど、
三年生か四年生か五年生か、はっきりしないのですが、
夏休みの前に図書館で雲に関する本を借りました。
雲に関して科学的に説明してある本でした。
私はその頃、雲に興味があったんですかねぇ。
装丁は青色っぽくて、1センチくらいの厚さの本でした。
雲の写真がたくさん載っている本だったと思います。

私の家ではお盆休みに毎年泊まりで、母親の実家に行っていました。
母親の実家まではクルマで片道1時間くらいです。
私は雲に関する本を母親の実家に持っていきました。
今の私からすると、そんなもの持っていくなよという感じですけど。

お盆休みが終わり、夏休みが終わり、
私は図書館の本を返そうと本をさがしたのですが、
本が見つかりませんでした。

家族で家じゅうを探したのですが、
見つかりませんでした。

ひょっとして母親の実家に忘れてきたのではないかということで、
母親が実家に電話してくれ、
母親の実家でもかなりさがしてくれたと思うのですが、
見つからないということでした。

それからの日々は、図書館の本を返していないという罪の意識が私を苦しめました。
私はそのようなことで非常に悩んでしまうタイプなんです。

母親が学校に電話して、図書館の担当の先生に
図書館の本をなくしてしまいました、
なくした分は弁償しますのでということを言ったのですが、
図書館の担当の先生は、
弁償ではだめです、もともとの図書館の本を返して下さいの一点張りで
問題は解決しませんでした。

この先生も無茶なことを言うなと思いますね。

その後も不安な日々は続きました。

図書委員会の委員長(上級生)がこちらの方に歩いてくるのを見ると、
私に対して、本を返して下さいと言ってくるんじゃないかと思ったりしました。
実際に言われることはありませんでしたけど。
この委員長は長身でやさしそうな人でしたけど、
この時は私はこの委員長に対して、恐怖感を感じていました。

そんな不安な日々を送っていて、
ある日、学校から家に帰ると、
私の机の上にあの雲の本が置いてあったのでした。

これで私は不安な日々から解放されたのでした。

でも、雲の本を私の机の上に返したのは誰なのでしょう?
これはいまだになぞなんです。



タグ:小学生 なぞ
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